バイオセンサー製造におけるインクジェットのいいところを考える(1)

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エレファンテック杉本です。前回は、インクジェット印刷は、非接触で印刷できる、デジタルマニュファクチャリング等の特徴があり、機能性タンパク質のインクの印刷にも向いている、というお話をしました。
さて今回は具体的にインクジェットのいいところを考えるというテーマでお話したいと思います。

酵素を印刷するにはインクジェットでやるのが良さそうという見方

バイオセンサーの製造において、使われる道具は様々です。バイオセンサーには、台座となる部分、トランスデューサー、メディエイター、機能性タンパク質、絶縁部、という主だった要素があります。これらをどのような手法で任意の形状に、機能を損なわない形でコストパフォーマンス良く並べるのかを多くの研究者や企業が考え実践しています。その中でもインクジェットが活躍するシーンはどういうところなのか、事例をピックアップしてみました。

少量でも高額な酵素の例

Wangら(2012) の論文では酵素の印刷手法について、シルクスクリーンと比較してインクジェットのメリットを
・高額な酵素インクの無駄が少ない
・印刷精度が高く、その再現性が高い可能性がある
・非接触式の印刷のためコンタミを避けられる
としています。これらについてコメントしていきます。

Wangら(2012)では、スクリーン印刷による酵素の印刷の欠点として、印刷したい酵素インク量に対して、印刷時にスクリーンの版にインクがベッタリとついてしまうので、綺麗に印刷するために必要な酵素インク量が多い点が問題であると指摘しています。他の要素もスクリーン印刷で作ることができるのですが、特に酵素はバイオセンサーの製造に使用される他の材料と比較して高価な場合が多いので、工業生産する時に経済的ではありません。

インクがスキージや版にもついてしまうシルクスクリーン印刷

一方で、インクジェットであれば、印刷したい分だけ吐出すれば良いので無駄が少なく、経済的であるというわけです。私はこの指摘は非常に重要かつ示唆的であると考えます。
というのも、新技術の良さを考える時につい仕上がりスペックのみで考えてしまいがちです。つまり、インクジェットであれば、どこまでの細線が描画できるのか、それはシルクスクリーンに比べてどれほどファインな線なのかと。実際、条件等により諸説ありますが、AFIP2019という会議に参加したときの、Agfaの方の発表の中では、シルクスクリーン印刷とインクジェット印刷の細線描画の実力は同等レベルという表現がなされていました。
しかし、ここで重要なのは、社会実装時、つまり量産時(マスカスタマイゼーション含む)の生産性が重要なのです。もちろん、インクジェットも理論通りに動くわけではなく、その性能を維持するためにはヘッドクリーニングを頻繁にかけることが必要なこともあり、その時のインクは廃棄される場合も多いので、製造ラインの仕上がり次第で無駄な量も変化してしまいます。それでもかなり効果はあると想像します。また、最後の非接触印刷である点はまちがいなくインクジェットの圧倒的なメリットの一つでしょう。シルクスクリーンでは、必ず印刷時に版が印刷対象に接触します。つまり、一度基材の表面についていた汚れが版についてしまうと、移行に印刷されるすべてのセンサーに汚れが写ってしまう可能性が高いです。他にもいくつかトラブルのシナリオは考えられますが、非接触式の印刷は非常に魅力的です。もちろん、インクジェットにも、例えばミストと言って、吐出時に細かいインク粒子が発生してしまい、それが意図した場所と違うところについてしまうトラブルなども発生します。あるいはサテライトと言って、狙った場所と違う場所に液滴の一部が着弾してしまうことがあります。これらを、許容できる精度まで抑え込む技術は十分発達しているものと私は考えています。
複数方式あるインクジェットのうち酵素印刷に向いているもの
さらにWangら(2012) は、複数あるインクジェットの方式の中でもピエゾによるDOD(Drop On Demand 国防総省ではありません)インクジェットが酵素印刷の主流になるだろうと指摘します。
まず、インクジェットにも様々な手法があるのですが、ざっくり大別すると連続的なインクジェット印刷(CIJ)と印刷したいときだけインクを吐出するドロップ・オン・デマンド印刷(DOD)の2種に大別されます。一般的なオフィスのプリンターなどは皆DODだと考えて間違いないでしょう。CIJは連続的に吐出されている液滴の飛行する向きを、印刷したい時だけ何らかの方法で変えてあげて印刷する手法です。ですから印刷しないときは、インク回収トレーのようなものに向かって液滴を飛ばし続けています。回収されたインクは、また連続吐出され、印刷したい液滴だけがループから飛び出して対象に着弾するという仕組みなのです。Derby(2008) は、このCIJは、インクの再循環中にインクが汚染されるリスクが存在するために、適していないという指摘をしています。故に、DOD方式のインクジェットが主流足り得るという考えに至るのです。

連続式インクジェット (CIJ) 方式

 もう一点、DOD方式のインクジェットにもピエゾ式とサーマル式の2種のインクジェット方式が存在しています。
ピエゾ式は、エプソン や RICOH のプリントヘッドが事例で、電気を流すと変形するピエゾという材料を使ってインクが入っている部屋の形を変形し、ノズルからインクを飛び出させる方式になります。
サーマル式は、Canon や HP のプリントヘッドが事例で、試験管の底にヒーターを設置しておいて、そのヒーターが一瞬で高温になることで液中に泡を発生させ、その泡の圧力によってノズルからインクを飛び出させるという方式になります。このサーマル式のインクジェットのアイディアをCanonの技術者が発見したときのストーリーが面白いのですが、その話はまた今度。

ピエゾ式
サーマル式

このピエゾ式とサーマル式はそれぞれ特徴がありまして、ピエゾ式は構造が複雑で、集積が難しく、ヘッドが高価になりがちなかわりに、インクへの負荷が少なく、様々な材料が吐出可能とされています。サーマル式は構造がシンプルで集積しやすく、ヘッドも安価に作りやすい代わりに、吐出時に熱が加わるので吐出できるインクに制約が多いとされています。ですから、家庭用プリンターがどんどん普及した1990年代から2000年代にかけて、エプソンは発色がよく、Canonが解像度が高いと言われたのはピエゾ式で顔料インクが描画できるエプソンとサーマル式で解像度が高いが染料インクで印刷するCanonの性能向上バトルを我々は目にすることができていたのだなと思います。

タンパク質は前述の通り熱に弱いので、多くの研究では基本的にピエゾ式のインクジェットが使われているというわけです。ただし、最近はサーマル式のインクジェットで描画に成功している研究も出てきているので、どうなっていくかはわからないとTianming Wangら(2012)は考えているようです。インクジェットによる機能性タンパク質の量産は今後広がっていくでしょうから、いずれわかってくることだと思いますが、事業者の気持ちになってみると・・・やはり避けられるリスクは避けたいという気持ちになりますから、やはりピエゾ式が主流なんだろうなと私は感じました。

この議論は後の別の論文でも議論されてますのでそちらも参照ください。ただし、インクジェット印刷の隠れた欠点として、かなりの勢いでインクが吐出されるので、その時の衝撃でインク含有物質が破壊される可能性が指摘されています。例えば、繊細な細胞などは壊れてしまうかもしれないとの指摘です。一方で細胞の印刷事例は RICOH などからも出てますので、この懸念も徐々に解かれていくもの、可能な範囲が明示されていくものと私は考えています。

インクジェットの良さはデジタル製造技術だからという見方

Moya ら(2017) が指摘するところによると、他の製造技術と比較してインクジェット印刷は、印刷する形状を最小のコストで変更できる、デジタル製造技術である点が良いとしています。その特徴により、インクジェット印刷が、製造環境的に魅力的であるだけでなく、研究時、試作時に非常に適しているのだとコメントされています。また、前述のWangら(2012)の研究と同じように、数ミクロンの領域をコーティングするのに大量のインクが必要なスクリーン印刷と対象的に、インクジェット印刷は使用するインクの量が非常に少なくてすむという点が評価されています。
一方で、インクジェット印刷のインクは、粘度、表面張力において、ぞれぞれ1-30mPa・s及び25-40mN/mなど(参考)の非常に厳しい範囲での特異的なレオロジーが要求される点、研究機器のコストがかかる点が技術の採用が制限されている理由と指摘しています。



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